“人を助ける為の秘密”が、”人の命を奪ってでも守るべき秘密”になっていたお話。
例えば言葉、例えば逸話。いろんなものが時間の流れとともに本来の意味を失い、別の意味を持ち、場合によっては真逆の意味すら持つこともある。
本来の意味から逸れ別のことを伝えるようになった事柄と同様に、元々は人間を守るために作られた秘密が、秘密の為に人を害すことになる場合もあるんだなと考えさせられた小説でした。
読後の感想文ですので、ネタバレが普通に頻出します。これから読もうと思われる方はご注意ください。特に前置きなくストーリーの謎部分について書きます。
知らないで読む方が絶対に面白いと思います。
そして本編読了後にこちらの感想文を読んでいただくなり、本編再読してもらうと、よりお楽しみいただけるかと……。
恩田陸さんの『きのうの世界』
見出しの通り、今回は『きのうの世界』の感想文です。
とある電機メーカー社員が突如失踪し、一年後、全く別の土地で遺体で発見されるという事件から始まる物語。
何故被害者は失踪し、一年もの期間を偽名で過ごし、遺体で発見されるに至ったのか。興味を持った”あなた”は伝手も当てもない見知らぬ町、『M町』へと向かい、そこでひとり調査を始めるのです。
一気に読めてしまった
大変読みやすい
わたし自身は読む機会がこれまでなかったんですが、周りの人が、それはまあたくさん読んでいたんですよね恩田陸さんの作品。大変読みやすくて満足感が高かったです。ミステリーかと思いきや伝記……かと思えばやっぱりミステリー? と、情緒反復横跳びさせられるのも気持ち良かった。
500ページ弱のうち、300ページほどは一気に読んでしまって、勿体なくてそこからはちびちび読むのを心掛けました。それくらいするっといきます。どっぷり読みたい人はちょっと気を付けたほうが良いかも。
物語は、序盤、”あなた”が主人公であるかのように進みます。事件の起きたM町に暮らす人々の視点を渡り歩きながら、町の部外者である”あなた”が事件の核心に近づく様子が描かれる。ここが大変におもしろい。のめり込みます。
懐かしい街並み。でもそこにあるのは、ぞわぞわする、閉鎖的な空気。そして現れる協力者。
めちゃくちゃ盛り上がる。
ただ、いいところで、突然”あなた”の物語は終わってしまいます。本当にここは頭を抱えました。いいところだったのに! という落胆。本人の無念。
心からの、『なんてこった……』に打ちひしがれました。
“あなた”
物語の中盤まで”あなた”はただ”あなた”として描かれるので、ここがちょっと怖い。そして”あなた”が読みやすさの大きな要因かもなぁとも、読後感じました。視点がFPSになるのよね、どうも、”あなた”だと。感覚的に。
ゲーム的というのかな。
読み切ってから、”あなた”は最後まで”あなた”だったほうが好みだったなと個人的には思いました。この”あなた”にも、”あなた”の物語があったから、この事件の唯一の被害者としてそこはしっかりと描かれたんだろうけど……。
怖さが残るというか、よくわからない大きなものに呑まれた人の恐怖、ぞわぞわする怖さというのが感じられたのは”あなた”だった頃だなと感じたので。”あなた”の名前と人物像が明らかになってからは、やっぱり他人事になった感は否めなかったです。
やっぱりこの辺もゲーム的かも。
まだ謎なこと
作品冒頭で明らかにされる、”あなた”がM町に関心を寄せるきっかけになった事件。その事件の全容は最終的に明かされますが、謎は幾つか残ったままです。めちゃくちゃ気になる。
でもそれはそういうものなんだろうし、M町で全ての事が終わったわけではなく、まだ続いていくんだろうと思うと謎と呼ぶのもいかがなものなんでしょうかね。それはこれからのことなのかもしれない。
ハンカチ
結局、ハンカチは誰が置いていたんだろう。
虹枝さんは「あの事件の朝、私達に地図を拾わせるための予行演習だった」と考えていたけど、誰がハンカチを落としていたかは明言されていなかったんですよね。そして地図自体は全く別の出来事から落ちていたものだったわけで。
これも市川吾郎の『調査』行動のひとつだったのかな?
キャラメル
和音がすり替えたのではないかという疑惑のあった、栄子のキャラメル。これについても、最終的には解決しませんでしたね。修平が「すり替えたかもしれない」という疑念は持っていたけど、わからなかった。
もし実際になにかを仕込んだキャラメルとすり替えていたにしても、和音の独断だったのか志津の指示によるものなのか。宿泊施設で起きた死亡案件として捜査はされることになりそうですけど、病死の扱いになるのかな……もし和音が実行したとして(ただキャラメルをすり替えなさいと命令されただけだとして)、和音の倫理観はどうなっているんだろう。想像ができない歳でもなかろうに。
和音の心情
和音にはキャラメルすり替え疑惑があり、そして確実にやったこととして塔への放火があります。しかも、罪を擦り付けるために栄子らしく見える格好で決行した(これは志津の入れ知恵)。
どうやら町に大変なことが起きてしまうから、という志津の迫力に負けてではあるけど、それでもやっぱりある程度の判断能力は持った年頃ではあるから、ある程度の罪の意識みたいなものがあるかと思いきや、先祖の施した仕掛けを前に感動しているっていう様子が、ちょっと薄ら怖かったんですよねわたしは。
後々、栄子の顛末を知ったら少しは気持ちが曇ることもあるんだろうか。彼女が死んでしまっているかもしれない、という可能性については思い至っていたようでしたが、あまり深くは考えたくない様子でした。
どちらにしろ、ちょっとこの子は怖い。
M町のこれから
未必の故意で守られたM町
志津も和音も、この町の秘密に近付いた部外者である栄子が命を落とすことについて特に感慨はないようでした。それよりも町、町を守るための仕掛け。
人間というよりも、このコミュニティそのものを優先して守りたいと考えているようにも見えた、志津。
彼女たちはこの町の守護者(とその血族)であり、監視者であり、咎人であるわけですね。その重責を負っている彼女たちは、もしかすると、その恩恵を受けて安穏と暮らす町の人々に対してある種憎しみのようなものを抱いているのかもしれないですね。自分たちでも気付かないうちに。
だから本来大切な真実は伝えず、でも外界から切り離すようにして町の中に囲い込み、またなにも知らせないままに『重石』としてそこに住まわせているのかも。守っているような、飼い殺しているような、見方によってはそんなふうにも見えますね。
きっかけを与えてやれば栄子は命を落とすかもしれない。そこに至らずとも、放火の濡れ衣を着せてやることができるかもしれないと、敢えて栄子がいるうちに塔を焼かせた志津。二段構えで邪魔者を排除しようとしているし、どちらも直接手を出していないところが非常に恐ろしい。
ストレスを与えてやれば栄子が命を落としかねないことはわかっていて、和音か、放火を疑った警察に”やらせればいい”と考えたんだなぁ。怖い人ですよ。
被害者はひとり
結局、市川吾郎は事故死だった。もっと言うと、本当の意味では自然死だったのかもしれない(意識が抜け出た時点で、体は余韻で生きているようなものだったのかなと)。ゆっくりと命の灯が消えていく、その過程で不幸にも殺人事件の現場が出来上がってしまったわけですからね。
そうなると、このM町で起きた殺人事件はたった一件、楡田栄子の殺人だけだったということです。しかもきっと立証できない、なんなら殺人事件と思われることもない事件。ゾッとするけど、でもこういうことって実はたくさんあるんだろうなとも考えさせられました。そしてこういうことが、無念なんだなと。楡田栄子は、最後になにを考えただろう。M町に来たことを後悔しただろうか。最後には全部知ることができていたんだろうか。
なんとも言えない退場だったなぁ……。
物語は続く
志津が語っていたように、今後もまた新たな塔が建ち、このM町は土地としては守られていくのかもしれない。でもきっと、いつか全てが白日の下に晒される日も来るでしょう。地質調査の技術はどんどん進歩しているわけですし。
全てが明らかになってM町の住民みんなの生活もしっかりと救われる形になるのか、或いは結果的に良くない形に収束してしまうのか。それはわかりませんが、今回の『仕掛け発動』の後も、このM町の物語は続いていくわけです。
穏やかながらも閉鎖的で触れてはいけない『何か』が佇む空気。これに支配された、町の日常が続いていくんでしょう。ぞわぞわしますね。
塔を常に視界にいれながら、塔に見張られながら、でも塔を意識しないよう教育された町民は、すぐに塔の存在を忘れてまたそれぞれの日常に戻っていくという、薄ら寒い情景。ちょっとたまんないですよね。
さいごに
たまたま手にとって読んだ本でしたが、大変楽しめました。これは大感謝。
途中読む手が止まらなくて、「なくなる、なくなる、ページがなくなる」と嘆きながらだったんですけど、だからといって読むのも止められず、でしてね。本でもゲームでもそうですけど、物語を摂取するって、とても二律背反。読みたいけど読みたくない。不思議ですね。
この作品が恩田陸さんの作品群の中でどういう位置付けのものかわかっていないのですが、とにかく読みやすかったので、また別の作品もお世話になりたい所存です。ちょっと読みたい本が山のようにあるのでいつになるかはわかりませんが、読みたいものリストに入れておこう。
感想を喋るだけの読書感想文、今回も最後までお付き合いいただいてありがとうございます。
また別の本の感想文も、よろしくお願いします。

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